シフトの関係でバイト先の閉店作業はたいてい同じ同僚と行っていた。
閉店後は客もおらず、同僚と二人だと沈黙がわずらわしく自然と会話する必要が出てくる。
その日はたまたまSNSのことが話題になり、僕はSNSを余計な情報が多すぎてめんどうだからという理由でやっていないということを話すと、ひろゆきも言ってたけど事実かどうか分からないならネットをやるべきじゃないと返された。あとで考えると話がかみ合っていない。ひろゆきはもっともらしいことを言っているように聞こえるが実際はいい加減なことしか言わない。ネット情報で事実そのものを扱うことなんてまずない。事実についての記述しかないのだから。それを事実かどうか確かめることもできるけれど、常に限界がある。論証の精度は可処分時間と認識能力と知識量に依存する。膨大な情報に日々接する状況で、たいていは個人のとる事実か否かの判断は社会的信頼という一言に一任されているに過ぎないのだ。ソースが国家機関によって集計された統計データだから信頼できるとか、某掲示板に掲載された情報だからソースの信用度は低そうだ、とか。あるいは、権威が書いたことだからとか。たいていはそれくらいの判断にとどまる。もっとも、一般論のように書いているけれど、これは個人的見解に過ぎない。僕自身のリテラシーがおそらくそのように情報を判断しているのだ。
陰謀論を例にとると分かりやすい。陰謀論はそれが事実無根であるかほとんどの人には本当のところの判断がつかないが、それが陰謀論に過ぎないと一部の人が主張し始めると、ネット上に瞬く間に拡散されていく。陰謀論という観念があり、それがどういう言葉を選んで書かれる傾向にあるのかという特徴を理解すると、脳はパターン認識し始める。確かにユダヤ人とかウォーターゲートとか有名な宗教結社の名前が文章に出てくると途端に胡散臭い雰囲気が漂い始めるのは分かる。しかし、エドワード・スノーデンの告発や、ロシア国内で横行していた閣僚の暗殺はどう説明するのか。アノニマスのようなハッカー集団が何を考えているのか、真に未来予測できる人間なんてはたしているのだろうか。
もちろんそんなところまでバイト中の会話で掘り下げたりしない。そこまで口が回らないし、お互いさっさと帰りたいと思っているから表面的な会話だけ繰り返すことになる。
僕は、猫の写真やアイドルのツイートやガチャの成果とかには特に興味がない。英語が読めないから、イーロン・マスクのツイートをわざわざ判読しようとも思わない。たいていのネット情報はGoogleのAIが自動で選んだ記事を読んで知っている。それで十分好奇心が満たされてしまう。僕はたぶん他人に興味がないのかもしれない。他人と知り合っても気遣いや忖度ばかりだし、かといって10年前のように羽目を外す気にもなれない。僕はできるだけ正気でいたいのだ。2年前にツイッターで知り合ったインチキ商法の似非コンサルで失敗した経験もあって、今更SNSをやっても苦い経験を思い出すのであまり楽しくはないだろう。
最近、危惧しているのはVRチャットのことだ。クレジットや電子マネーで簡単に商業取引ができるから、世間知らずの子供がメタバース内で高額のインチキ情報商材なんか購入してしまわないかが心配だ。宗教勧誘もあるかもしれない。世の中カルトだらけだ。有名人のツイートに群がる単純で過剰なリプライはその証拠の一つだろう。やメタバース内で知り合ったことがきっかけで、現実の犯罪に巻き込まれることだってありえる。いずれにせよ、僕自身がVRチャットをやることは今のところ予定にないけれど、やったところでどうせ疎外感ばかり感じてたいして楽しくもないだろう。