Toilet Paper Log

散木から、トイレットペーパーへ。

ハウス・ジャック・ビルド (映画)

俺 見終えたばかりなんだけど、なんか話せそうだと思って。

スミス ああ。

俺 ラースフォントリアーって人はいつもとがった映画ばかり撮ってる印象があるけど、今回もそうだった。

スミス そうだね。

俺 最初は、古典芸術と猟奇殺人を重ね合わせることで、ジャックという男を通して人間の業を描いていると思ったんだ。だけどそれはちょっと違うなと気づいた。エンドロールに、こういう一文が出たんだけど。「この映画で傷つけられた動物はいません」って。これはなかなかの皮肉だなと。

スミス ああ。トリアーは、人間も動物だとみなしているということだね。

俺 人間は動物の一種だ。だけど、ヴァージという老人が冷凍倉庫の開かずの扉をジャックが開けた時に登場した。そこで観客は、このブルーノ・ガンツ演じる老人がジャックの意識下にいる「理性」や「良心」の擬人化だということに気付く。

スミス ああ。ジャック自身もその時になってようやく、ヴァージの存在に気付いたようだね。そのときになってようやく、ジャックは、快感の反対である苦痛の源泉が、理性や良心によるものだと気づいたはずだ。

俺 冷凍倉庫の死体を使って家を建ててから、ジャックは穴に入る。そこから不思議な心象世界に入っていくんだけど。この心象世界のイメージは綺麗だよ。ジャックはキリスト教的な倫理観を持ち合わせていることが分かる。つまり、天国と地獄の存在だ。ジャックは自分がいつか罰を受けるという自覚があったと劇中で言っていたから、「この心象世界巡り」において天国の門は閉ざされている。それからヴァージに連れられてやってきたのは、地獄だ。地獄には橋が架かっていていたけれど、今は壊れてしまっている。橋の先にある階段は地上に繋がっている。

スミス 地上とはつまり、人間の世界だろうね。地上に繋がる階段と壊れた橋は、大量殺人や違法行為が社会的な評価と繋がった時代がとっくに終わっていることを示唆している。例えば、西洋の中世から近世まで続いた魔女狩りや異端審問官はその代表格だろう。ヒットラーは今じゃ大悪党だけど、当時のドイツ国からしたら英雄だった。ヴァージの存在は現代的に洗練された倫理観を反映しているんだ。それからヴァージが言っていた「地獄の2階層上」とは、ジャックが正当な手続きを経て、法の裁きの下る道を示唆しているんじゃないか。

俺 そうかも。だけどジャックは、ヴァージの忠告を無視して地獄を抜けて地上に戻ろうとした。

スミス ああ。ジャックは死体の写真を撮ったり加工したりすることでアートを作っていた。つまり彼にとって死体は「素材」であり、芸術作品を純粋な「素材」の問題であるとみなしていた。彼は、おそらく腕の立つ技師で、建築家としての素養もたしかにあった。しかし、彼は「ジャックの家」をレンガや木材で建てることはできなかった。彼にとって建築は芸術的な行為だったし、それは純粋に素材の問題だったからだ。だから冷凍倉庫の死体を使って家を建てた。ジャックの家は死体を使って建てられたんだ。

俺 まあ、サイコパスだな。人間失格。アートってなんだ?って問うとき、一つの回答が「何かを表現しようとする衝動それ自体」って言えるかもしれない。ジャックの場合、そのアートがたまたま、人間を加工して、素材を使って、創ることだった。プロセス自体がアートなのかも。

スミス アートとはなんだろうね。絵画、彫刻、建築、写真、音楽。分野は様々だ。この映画で問われていたのは、何がアートなのか?ではなくて、アートのような創造的行為にまつわる倫理性の問題だ。究極的に、アートとは、それをアートとみなせばアートなんだ。他人がどう思うかは関係がない。この映画には、評価主義に反発する視点がある。こういう我がままはポジティブだと思うよ。しかしジャックは芸術家を気取った猟奇殺人鬼だった。地獄に落ちて当然だ。

俺 何がアートで何がアートじゃないかは、人が決めることだろう。いや、人が決めるしかないことなんだろうね。でもこの前ヨルシカってバンドがCDの入ってないCDケースを商品として販売していた。あれは少なくとも音楽ではないとわかる。インタビュー記事を読んだけど、ダダイズム的なことがしたかったんだろう。マルセル・デュシャンの「泉」みたいな先例は有名だよ。「泉」は当時画期的な発明だった。要するに、美術館に便器を逆さに置くことでデュシャンが示したかったのは、美術館という場が、ガラクタをアートに仕立てるシステムとして機能しているということだったんだ。美術館という場が、大衆をアートの鑑賞者に仕立て上げるといってもいい。俺たちの脳は、ただ物を見ているだけじゃないってことを、昔から芸術家は知っていた。

スミス そうだね。ダンサーインザダークのオープニングでは、万華鏡のような美しい映像が数分間流れていたけれど、あれは人間のイマジネーションを表象するものだったのかもしれない。それはともかく、この映画はトリアーの総括的な自己批評の側面もある。トリアーの映画は、いつもモラルの境界に触れるような内容だから。モラル意識の究極にあるのは、人殺しのような、文明に普遍的に存在する禁忌にまつわることではないだろうか。ハウス・ジャック・ビルドでは、絶対悪を描こうとしていたんじゃないかと。子供も遠慮なく殺してるし、精神的な苦痛を与えている点で言えば拷問でもある。マルクス・ガブリエルは倫理観は時代や状況によって相対的ではあるけれど、絶対にやってはいけないことを、基準として成文化するべきだと提案していた。例えば、「子供を拷問してはいけない」といったようなことだ。グレアム・グリーンは、悪を測る基準としてキリスト教を持ち込んだと書いていた。戦争のようにモラルが激しく試されるような状況になると、必ずしも法が正しい正義を遂行できるとは限らない。彼が人生の中でどのような出来事を知りえたのかはともかく、宗教的な視点が必ずしも無用になったとは思えない。まあ、リチャード・ドーキンスの著書には、いくらか共感する部分もあるけれど。

俺 ダンサーインザダークは良い映画だよな。あれは、人間の愚かさを批判したものだったと思う。ここでいう愚かさってのはつまり、想像力の欠如だ。想像力がない人間は、利己的だし薄情だ。そういう人間の描き方をしてたと思う。警察や裁判所を出して、権力や役所的な型にはまったやり方を批判していた。

スミス トリアーは警察が嫌いなんだろうね。ハウスジャックビルドでも、警察はほとんど無能同然の扱いだったから(笑)

俺 まあでも、それぐらい疑っていいのかもしれない。「日本の警察は優秀だ」っていうどっかで聞いたセリフがなんか頭に残ってるんだけどさ。実際のところ、警察を信用してもいいことなんて何一つないからな。警察もただ、金をもらって仕事してる職業人に過ぎないわけだから。平和で人の少ないところの警官なんか暇だから、国道でスピード違反の切符を切るくらいしかやることないんだよ。そりゃまあ、事務仕事だのパトロールだのあるんだろうけどさ。医者のほうがよほど大変だろうよ。とくに最近は。 

スミス とはいえ、我々のような小市民は、権力に従順にならざるを得ない。トリアーは天才だ。だからこれだけの作品が撮れたんだ。

俺 ああ。だが俺は権力にもグローバルな資本主義にも殺されそうだ。世の中で評価されるのは、利他的な行動をする花があってすごいやつと相場が決まってるんだ。人間の評価するやり方ってのはいつでも残酷だし不公平だよ。

スミス まあそういうなよ。

俺 そろそろ、寝るか。

スミス ああ、おやすみ。